やること多すぎ!!!!
→その膨大さに圧倒されて足が怯む、、、。何もできない自分、、、。
→自己肯定感はどんどん下がっていく、、、。
そんな経験したことありませんか。私は絶賛それの繰り返し中です。
毎朝起きるのも大変。課題に手を付けるのにもぎりぎりにならないと始めない。
「こうなりたい」「ああなりたい」「明日はこうしよう」
と山ほど頭の中でイメージはするけれど、それを体現することが全くできていない。
自分の中の理想と、自分の現実とのギャップ
が大きすぎて、まるで自分なのに、高さのわからない壁が目の前にあるような感じ。
今日の記事は、
私が、私自身に喝を入れるためにも、そしてこの記事にたどり着いてくれた皆さんの気づき、この記事に出会ったたった今から活力がわいてくるような記事になっています。
私たちが私たちの「出来なさ」に着目している時、
私たちは大事なことを忘れているんです。
それは「正しい言葉」です。
今立ち止まっている、悩んでいる、自己肯定感がジェットコースターのような高低差がある。私たちが私たちを観察するために必要なのは言葉なんです。お金でも難しい本でも、新しく取り入れないといけないものでもありせん。すでにわたしたちが持っている言葉です。
1つ目の言葉は、
「大丈夫。十分頑張ってるよ」
受容の言葉です。

今の現実の「~ない」ということばかりに目がいってしまう。
それは人間が持っている性質です。「~ない」ものばかりに着目して人を妬んだり、自分を卑下したり、それは人間が取るに取れない生まれ持った時から持っているモノです。
ですが、あなたはなあなたの、私は私の人生を歩んでいます。
「人間」という生命体としての枠組みを超えて、1つの個でもあるのです
そして私たちが持っている様々な感情は自然のものであり、それを否定する必要は全くありません。流れに身を任せる。そういったことも人生では必要です。
ですが、「今やらないと」「今やらなければ」と、流れに身を任せるだけでは居ても立っても居られないそんな状況のほうが人の生を歩むうえでは多いのではないかと思います。
私たちが、私たちの内面の弱さや未熟さに出会う時に、私たちはそれらを観察し心の波を読み取ることができる感覚を持っています。
自分の心が、迷い中なら、そっと抱きしめてあげて「今あなたが何を持っているのか」、「今~ある・いる」ことに着目してみるんです。
私も、「なんでこんなにできないんだ」「なんで勉強がこんなにも進まないんだ」と「ない」に着目してしまって、本来自分が出せる能力を発揮でき「ない」時があります。このように「ない」という言葉は連鎖していく言葉なのです。
それと同時に「ある・いる」という言葉も連鎖していく言葉なのです。
私には、「勉強できる机がある、空間がある、文房具がある」
私は「週三回はべんきょうできている」「今日も椅子に座って勉強と向き合っている」
「ない」から→「ある・いる」への感覚の変化を自分で行ってみる。
感覚という言葉、「感じて覚める」「感じて目覚める」と書きます。
感じるのです。ありのままの。
・だらけている自分も
・頑張っている自分も
・おっちょこちょいな自分も
・人を妬んでしまう自分も
そして、「覚める」「目覚める」それは目がパッと開くような体験。物理的な目ではなく、心の目が、魂の目がひらくような体験です。
2つ目の言葉は
「ゆっくりでいい。守られているから。」

現代を生きていると、締め切りや、情報の変化など
無意識に焦ってしまう、焦らされてしまうことがあります。
私は特に大学で課題の締め切りに追われています。
締め切りの存在が悪い。
そういった考えではなく、その締め切りまでにどう取り組めているか。
すべては必然です。目の前に起きていることはあなたが乗り越えなければいけない出来事や、あなたの人生において必要な考えや人々が目の前に現れているのです。
どんなに進んでも進んだ実感がしない。どんなに努力しても実らない。
そんな時は、その物事への取り組み方が正しくないのかもしれません。
「じゃあその正しさを教えてよ。右が正解なら右を向くし」
と私は思います。けれど、その「正しさ」自分で導くことのできない人に、自分の心の揺れや波の観察はできません。
人から与えられるものではなく、自分が自分に与えられるもの、そしてそれをあなたが人に与えてゆけばいいのです。
私がこのように記事を書いているのも、私が私の人生で感じた苦難や、幸せからの気づき・学びを通じて皆さんに還元する。
「与える」と言えるほどまで、私は精錬され霊格の高い人間ではありませんので、(まだまだこれからという道中なので)私の思いを言葉にして、私が私に向ける形でもありながら皆さんに届ける形で、ささやかな自分なりの還元をしています。
気づきを得ることから、与えること。
大きく社会に貢献しなければならない。いいえ、そうではありません。まずあなたがあなたにできるようになってみてください。
例えば、仕事を頑張ったから、良い食事を食べに行く。どんな形でもいいです。自分への気づきや感じることを止めず、同時に与えることも惜しみなく与える。
現代社会の締め切りや、情報の変化に対応していく。
そのなかで、「安心」した心をもって動いてみてください。
あなたは守られています。どれだけの人々の歴史があってあなたという人が誕生しているか想像してみて下さい。
家族関係がうまくいかず、人間関係がうまくいかず、「守られている」とか感じることができない方もいらっしゃると思います。
周囲の人からの安心感を感じれない人は、自分への安心感が薄いのかもしれません。
自分への安心感というのは言い換えると「自分への信頼度・満足度」でもあります。
あなたは自分のことを信じていますか?満足していますか?
100パーセントじゃなくてもいいです。1パーセントでも自分への信頼や満足できている部分があれば、そこからどんどんその輪を広げていけばいいのです。
もう一度、「守られている」と目をつむって心に言葉をかけてあげてみてください。
それが、先祖、おじいちゃんおばあちゃん、今の家族、昔飼っていたペット、亡くなった恩師、現在のパートナー、、、だれでもいいです。その存在を思い出すだけで心がフワッと軽くなる人を思い出してみてください。
一から自分の知っている人・動物(すべての存在を含めて方々と呼びますね)
これまであなたの人生に登場した方々の名前を書き出してみるのもいいかもしれません。名前を見ると笑みがこぼれるその名前を持っている方々はあなたを見守ってくれていると思います。
これまで「ない」ということから→「ある・いる」への感覚への転換。そして、「守られている」と感じること。
最後は
「丁寧に耕す。丁寧に育てる。頂くときは大胆に。」

丁寧に自分自身を観察し、感じ取れるようになってきたら、最後は大胆にそのありがたみや恩恵を受け取りましょう。
受容に始まって受容に終わります。
自分の弱さや、みじめさ、できなさをまずは認めてあげる。受け入れてあげる。
それと同時に、自分が頑張っていることを認めてあげる。大丈夫だよと声をかけてあげる。
そのあとは、思考の転換や感覚を研ぎ澄ますことに集中する。
そして、育ってきたあなたの人生の宝となるものは大胆に遠慮せずに受け取りましょう。
あなたの「なんで、できていないんだ」「どうしてこんな、、、。」と否定的感じてしまう心は実は、向上心の種そのものです。
でも実際に人生を変えてくれるのは “小さなことの積み重ね” なんです。
その一歩を出すあなたの背後に、ちゃんと“見てくれている存在”がいる。
私ならできると信じること。
この瞬間から、あなたの第一歩が軽くなりますように。
悲しみのパンを口にすることなくしては、あなたは真実の人生を味わうことはできない。
ゲーテ『Wilhelm Meisters Lehrjahre』
逆境は尊い。
松下幸之助『道をひらく』
自然は急がない。だがすべてが成し遂げられる。
老子『道徳経』 第37章
Eunoiaでは、現役大学生の私が日々の学びをリアルに綴っています。
語学の勉強や大学の授業から学んだ内容だけではなく、心の育て方・人生の歩み方といった哲学的・霊的なテーマまで幅広く発信しています。
「勉強」を教科書の枠に閉じ込めず、「学び」に昇華させ、人生そのものの喜びとして届けることを大切にしています。
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